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海外訪問記

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インドネシア ジャカルタの新道場オープンセレモニーが2013年4月20日に開催されました。またI.K.K.A.(インドネシア極真空手協会)が正式に発足の運びとなりました。

インドネシア ジャカルタ バンテンに新道場ビルが完成となり、オープンセレモニーが2013年4月20日に開催されました。代表と、副代表の範師ジョン・テイラーも招待されました。空手協会会長をはじめ極真空手の功労者方々、また後援者ら多数来賓を迎え盛大な式典の後は、道場生も参加してパーティーとなりました。
またI.K.K.A.(インドネシア極真空手協会)が正式に発足の運びとなり、報道関係にも公表されました。
1981年、インドネシアで開催された第1回東南アジア大会でデモンストレーションを披露しました。その当時の関係者とも懐かしい再会を果たしました。インドネシアは経済の発展も目覚ましく、何しろ驚くのはジャカルタの車とバイクの多さでした。しかし嬉しいことに90パーセント以上が日本車で、ほとんど新車のようでした。終日の交通渋滞の割には、排気ガスの影響は少ないと感じました。また、ジャカルタの郊外にある、雄大な大自然を生かしたハディ先生の庭園とヴィラには、感嘆するばかりでした。折しも帰国日には、指導者達とのランチでサプライズ誕生祝いを受けました。
支部長;セティア・プルナマ

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チリ訪問記

成田からカナダ トロントまで約12時間半、トロントでローマン・シライエフ カナダ支部長と合流しサンティアーゴに向かった。トロントで3時間前にチェックインしたのに座席がないと言われた。ゲートのカウンターで確認せよと言われた。セキュリティチェック後、訳も分からず不安なままカウンターの最前列で待った。だんだん列が伸びてゆく。何しろ荷物はすでに預けてしまった。幸い座席は確保できたがドキドキだ。更に10時間半のフライトである。便に搭乗出来ないとどうなるのか想像もしたくなかった。サンティアーゴで指導者の出迎えを受け国内線のチェックインでは、ローマン・シライエフ カナダ支部長の予約がキャンセルされているとの宣告だ。何とか指導員達が走り回り、我々の座席を別の便に変更してローマン師範の座席を指導員と同じ便に確保できた。どうなっているのか。ほっとする間もなく到着したメキシコチームにトラブル発生のため指導員達はまたかけつけて行った。結局彼らも代金は支払い済みなのに、予約の便に座席が取れず、11人はその日に2便と翌朝1便に分乗してコンセプシオンに向かった。どうもブラジルでカーニバルがあるらしいが、チリのダブルブッキングは珍しい話ではないのか。帰りの便は念をいれてチェックしてもらった。
コンセプシオンでは大勢の出迎えを受けた。

その夜は軍隊の駐屯地内で歓迎ディナーに招待を受けた。一般人は立ち入り禁止区域だ。

チリでは25年に一度大津波の被害を受けているそうだ。コンセプシオンは地震後整備された近代的な街で、近隣の町ともハイウエイで結ばれ便利である。ホテルの前のハイウエイを挟んで巨大なモールは終日賑わっていた。チリは海岸に面し細長くアンデス山脈にはばまれ常に津波の恐怖にさらされているのは日本との共通点だ。今も爪痕が残る地域もある。

地元以外の参加者はオリンピック委員会の支援によるトメ市の寮に宿泊したが貸切のようなもので、お互いの親交を深めることになった。
ホテルでの深夜、異常なベルが鳴り響いている。まさかの非常ベルだ。パジャマのまま8階から階段を駆け下りた。結局エレベーターの異常だったらしい。しかし我々以外誰一人滞在客は降りてこなかった。
その方がびっくりだった。またエピソードがひとつ増えた。
行事終了後、モリナ指導員の家族に暖かいもてなしを受け感激した。

コンセプシオンを離れ、サンティアーゴでは出発までの数時間中心の市街地を散策した。とにかく20度から一気に30度以上の真夏の陽気だ。街の中心に巨大な海産物の市場があり、近くのレストランで新鮮なシーフードを堪能した。チリの料理はあまりスパイスを使わず日本の味に近い。

サンティアーゴ空港で皆に別れを告げ、セキュリティチェックも済んでからMATSUSHIMA・・・と呼び出しがかかった。何事か?結局もう一度チェックインカウンターに行き、預けたスーツケースは以前からへこんでいたとサインをすることになった。
トロントについたら、0度だった。さらに成田に着いたら4度なのに体感温度はもっと寒く感じた。
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クロアチア支部で代表によるセミナー開催

ヨーロッパ大会の行事終了後の10月17日、クロアチア支部でセミナーを開催する為、高速でザグレブに向かった。ハンガリーでは、高速で普通8時間程かかると言われていた。

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中国大会参加の為、上海と南京を訪問した。

9月30日、上海空港に到着した。まだ原発の影響で飛行機は空席が目立った。上海国際空港は近代的な新空港になっていた。上海にある3つの空港の一つは新幹線専用の、上海虹橋駅が直結し、各出発車両毎に乗車時間と専用ゲートが案内される。まさに、空港のターミナルそのものだった。この時期は国慶節で祝日が1週間以上あるため、国民大移動で知られる。
10月1日、我々の乗った新幹線は北京行きなので南京南駅までノンストップ、約1時間で到着した。中国の勢いは恐るべしである。確か2年前は2時間以上要したはずだ。16編成で、1号車のグリーン席からは最後尾まで見えない。それも満席でなかなか切符を手に入れるのが困難とか。
あまり衝突事故の影響はなさそうだ。やはり便利には代えられないか。
南京からの新幹線は、上海駅に着くタイプで2時間以上かかった。切符もいろいろなタイプで料金が違うようだ。しかし、南京でも新しい新幹線の駅に近いエリアには、10数棟の高層マンションが同時に建設中であった。
観光地はどこも人であふれ、中国の発展と人々の活気をまざまざと感じた。

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イラン訪問記

2011年2月22日、ドバイ経由でテヘランに到着した。2005年以来で、空港はすっかり近代的になっていた。
22日に、テヘランの道場を訪問して、23日午前男子のトレーニングセミナー、その後女子部の指導を終えた。大急ぎで国内線で空路イスファハンに向かった。イスファハンでは、24日午前スポンサーのパイタクトオイル会社で、マスコミのインタビューを行なった。その後は審判講習会を実施した。夕方からの審査は深夜2時に終わった。翌朝パトカーの先導で大会会場に向かった。 イランの交通事情は、熾烈だ。4車線位のところを隙があれば割り込んで幅10センチほどの車幅で運転している。外国人は運転できないと確信した。
イスファハンのイマーム広場を再度訪問した。広場を囲んだバザールをゆっくり見ていたら一日あっても足りないだろう。

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南アフリカ イースタン・ケープにて学校を訪問する

11日に、ダーバン市から高速で約数時間のイースタンケープを訪問した。シブシソ・クライブ支部長の地元である。リズムカルな民族ダンスを披露してくれて大歓迎を受けた。

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ネパール訪問記

例年は9月中旬から乾季に入り、トレッキングなど観光シーズンとなる。今年は雨が多く、夜は雨が降った。郊外に向かうと、道端や道路に面した空き地はトラックやバスが止められているが、ぐちゃぐちゃのぬかるみから出られるのか心配なほどだ。
カトマンズはバイクが多い。車と人々の間をすり抜けて行く。タクシーの表示が無くても、黒ナンバーは乗合を意味するそうだ。かなり年季のワゴン車やマイクロが、ぎゅうぎゅう詰めにして人を運ぶ。ドアが無いのか、乗り降りのためにはずしたのかとにかくエネルギッシュだ。交差点でも、交通整理の警官は黒マスクだ。信号はあっても作動していないように思われた。
バザールを歩くと、混沌さの中に懐かしさを感じた。女性達はサリーを巻いている人は少ないが、民族衣装はとてもカラフルだ。びっしり繋がった店の間口は狭く品物がぶら下がっている。品物もカラフルで見ていて楽しい。どこに行っても、にこやかにナマステと挨拶される。胸の前で手を合わせ、ナマステと挨拶すると優しくなれる気がする。日本の一昔前の生活が想像されるが、人々に暗さが感じられない。本当の豊かさとは何か考えさせられる。

ネパールはヒンズー教と仏教の国である。カトマンズの外れ、高台に有名な寺院(猿寺とも呼ばれる)があり、朝早くから人々が訪れていた。ぐるりと寺の周囲を車で回ると、アームド・ポリス・フォースのすぐ脇に出た。どうりで、セミナー会場に猿が見に来ていた訳だ。
 
9月19日、ヒマラヤを見るため、カトマンズから200kmのポカラに向かって朝8時にホテルを出発した。カトマンズは標高1400mの盆地にある。街を抜け、昇ったり下ったりハイウェイをひた走る。ハイウェイといっても山の中を切り開いて走る一本の幹線道路で、生活道路でもある。ネパール版トラック野郎といった、カラフルなペイントに、テープまで張った輸送トラックやら、ぎゅうぎゅう詰めのマイクロバス、観光客用のツアーバスとなんとも賑やかだ。スピード制限が無いので、ガンガン追い抜いていく。途中宿場町ができている。街の無いところでも屋台のような店が、飲み物、果物、スナックなど道端で商いをしている。泥を塗り固めたかまどで煮炊きしている所もあった。白瓜のような巨大キューリの切り売りには驚いた。
 ハプニングである。午後2時頃突然車の流れが止まった。2km先で巨大岩石が大雨で落下し、道路が閉鎖された。じたばたしても待つことしかできない。片側は断崖で、一方は大きな川が並行して流れている。皆車を降り、現場を見に行ったり、屋台で食事をしたり、観光地並みの人混みとなった。慣れたもので、いきりたっている人もいない。

3時間待って開通した。ガンガンすっ飛ばして夕方6時にポカラに着いた。だが終点ではない。
ポカラから、ジープに乗り換えた。すでに暗くなり、車一台が通れるゴツゴツの山道を激しく揺られながら、ダンプスに向かった。ぬかるみにタイヤをとられながら1時間半、夜8時頃標高1700mのダンプスのホテルに到着した。生きた心地がしなかった。折しも停電中の中、ネパールの定食ダルパート、手作りの揚げもちはとても美味しかった。オーナーはグルングさんの、親戚で暖かいもてなしに感謝した。
朝5時半、アンナプルナサウルス(7219m)の頂上が顔をだした。刻々と変化する雲の切れ間からマチャプチャレ(6993m)が見えた。魚の尻尾という意味である。余りの神々しさに大声を出したいほどだった。ネパールの人々は神々が宿る山々とヒマラヤを崇める。

今年は、雨が多く1週間トレッキングしていても見られない人がいるそうだ。たった一晩の滞在で、マチャプチャレ、アンナプルナの山々を見た興奮と感動は忘れがたい。

山から流れだす清水は道路を横断して川へと流れていた。
 
翌朝8時、山を下りポカラのフェワ湖湖畔を散策し、帰路についた。

途中の街では、数頭の水牛が対向車として向かってきた。牛様さまである。切り立った崖から勢いよく水が流れ落ちている所では、大型トラックの運転手が水浴びをしていた。
 山間の奥深く、随分高い所でも家がポツポツと点在している。不思議だったが、やはり車で行ける道はないそうだ。人が通れる幅の山道である。200kmの道中対岸に渡るつり橋は一か所見かけた。ロープで滑車にぶらさがり渡っているのを目にした。サバイバルだ。下は激流である。
グルングさんは、橋が無く学校に通えない子供達のために、橋を建設する援助が必要であると話していた。教育はネパールの将来を支える。
グルングさんの奥さんの手料理をご馳走になった。お変わりをした。とても美味しかった。

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チュニジア訪問記

スペインから、イタリアのローマを経由してチュニジアに向かった。チュニジア支部長サドック・クウカ師範が同行して、空港では警察学校の所長の出迎えを受けた。

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アンダルシアの白い村 カサレス 訪問

エステポナから山の中を3~40分程走り、山肌にはりつくように白い美しい街並みが現れた。ローマ時代までさかのぼる古い歴史のある街だ。観光のためではなく、人々が生活している。家々は迷路のように込み入っている。夕陽に照らされて、より一層幻想的なたたずまいに感動を覚えた。

この海の向こうは、北アフリカの大地だ。晴れた日にはアフリカ大陸まで見渡せるそうである。

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カナダ モントリオール散策

カナダ大会、セミナー、昇段審査も済み、5月31日はモントリオールの
旧市街地を散策した。かの世界的に有名なシルクドソレイユは、
月曜が休館で見逃してしまった。滞在中、カナダ支部の指導者達との
ディナーで、楽しい会話に話がはずみ一層交流を深めた。 前回の訪問
から4年ほど経過した間に、カナダ支部はさらに発展し、充実していた。

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オレゴン・ポートランド訪問

 オレゴン州ポートランド空港から約30分でバーベルトンに到着した。町の街路樹も郊外の至る所に堂々とした針葉樹がそびえ、その中に白やピンクの花の木々も咲き誇っていた。桜は散ってしまったようで、プラムか桃の花かもしれない。土地が広いので、会社もせいぜい2階建てや平屋建てのところが多く一層緑の多さが印象に残る。1年の半分は雨だそうで、滞在中晴れの日は大会当日だけだった。
 ポートランドの町を眼下に一望できる高台に作られた、1900年初頭に建築されたピトックマンションThe Pittock Mansionの豪邸を見学した。建築費は現在の金額では3憶円要したという贅がつくされていた。
 オレゴンには、世界的に有名なスポーツウエア会社ナイキの本社がある。もちろん外からのみだが見学した。会社名はどこにもなく、あのロゴのマークだけ堂々と目立っていた。

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