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ネパール訪問記

例年は9月中旬から乾季に入り、トレッキングなど観光シーズンとなる。今年は雨が多く、夜は雨が降った。郊外に向かうと、道端や道路に面した空き地はトラックやバスが止められているが、ぐちゃぐちゃのぬかるみから出られるのか心配なほどだ。

カトマンズはバイクが多い。車と人々の間をすり抜けて行く。タクシーの表示が無くても、黒ナンバーは乗合を意味するそうだ。かなり年季のワゴン車やマイクロが、ぎゅうぎゅう詰めにして人を運ぶ。ドアが無いのか、乗り降りのためにはずしたのかとにかくエネルギッシュだ。交差点でも、交通整理の警官は黒マスクだ。信号はあっても作動していないように思われた。

バザールを歩くと、混沌さの中に懐かしさを感じた。女性達はサリーを巻いている人は少ないが、民族衣装はとてもカラフルだ。びっしり繋がった店の間口は狭く品物がぶら下がっている。品物もカラフルで見ていて楽しい。どこに行っても、にこやかにナマステと挨拶される。胸の前で手を合わせ、ナマステと挨拶すると優しくなれる気がする。日本の一昔前の生活が想像されるが、人々に暗さが感じられない。本当の豊かさとは何か考えさせられる。

ネパールはヒンズー教と仏教の国である。カトマンズの外れ、高台に有名な寺院(猿寺とも呼ばれる)があり、朝早くから人々が訪れていた。ぐるりと寺の周囲を車で回ると、アームド・ポリス・フォースのすぐ脇に出た。どうりで、セミナー会場に猿が見に来ていた訳だ。

 

9月19日、ヒマラヤを見るため、カトマンズから200kmのポカラに向かって朝8時にホテルを出発した。カトマンズは標高1400mの盆地にある。街を抜け、昇ったり下ったりハイウェイをひた走る。ハイウェイといっても山の中を切り開いて走る一本の幹線道路で、生活道路でもある。ネパール版トラック野郎といった、カラフルなペイントに、テープまで張った輸送トラックやら、ぎゅうぎゅう詰めのマイクロバス、観光客用のツアーバスとなんとも賑やかだ。スピード制限が無いので、ガンガン追い抜いていく。途中宿場町ができている。街の無いところでも屋台のような店が、飲み物、果物、スナックなど道端で商いをしている。泥を塗り固めたかまどで煮炊きしている所もあった。白瓜のような巨大キューリの切り売りには驚いた。

 ハプニングである。午後2時頃突然車の流れが止まった。2km先で巨大岩石が大雨で落下し、道路が閉鎖された。じたばたしても待つことしかできない。片側は断崖で、一方は大きな川が並行して流れている。皆車を降り、現場を見に行ったり、屋台で食事をしたり、観光地並みの人混みとなった。慣れたもので、いきりたっている人もいない。

3時間待って開通した。ガンガンすっ飛ばして夕方6時にポカラに着いた。だが終点ではない。

ポカラから、ジープに乗り換えた。すでに暗くなり、車一台が通れるゴツゴツの山道を激しく揺られながら、ダンプスに向かった。ぬかるみにタイヤをとられながら1時間半、夜8時頃標高1700mのダンプスのホテルに到着した。生きた心地がしなかった。折しも停電中の中、ネパールの定食ダルパート、手作りの揚げもちはとても美味しかった。オーナーはグルングさんの、親戚で暖かいもてなしに感謝した。

朝5時半、アンナプルナサウルス(7219m)の頂上が顔をだした。刻々と変化する雲の切れ間からマチャプチャレ(6993m)が見えた。魚の尻尾という意味である。余りの神々しさに大声を出したいほどだった。ネパールの人々は神々が宿る山々とヒマラヤを崇める。

今年は、雨が多く1週間トレッキングしていても見られない人がいるそうだ。たった一晩の滞在で、マチャプチャレ、アンナプルナの山々を見た興奮と感動は忘れがたい。

山から流れだす清水は道路を横断して川へと流れていた。

 

翌朝8時、山を下りポカラのフェワ湖湖畔を散策し、帰路についた。

途中の街では、数頭の水牛が対向車として向かってきた。牛様さまである。切り立った崖から勢いよく水が流れ落ちている所では、大型トラックの運転手が水浴びをしていた。

 山間の奥深く、随分高い所でも家がポツポツと点在している。不思議だったが、やはり車で行ける道はないそうだ。人が通れる幅の山道である。200kmの道中対岸に渡るつり橋は一か所見かけた。ロープで滑車にぶらさがり渡っているのを目にした。サバイバルだ。下は激流である。

グルングさんは、橋が無く学校に通えない子供達のために、橋を建設する援助が必要であると話していた。教育はネパールの将来を支える。

グルングさんの奥さんの手料理をご馳走になった。お変わりをした。とても美味しかった。