海外訪問記(2012)
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成田からカナダ トロントまで約12時間半、トロントでローマン・シライエフ カナダ支部長と合流しサンティアーゴに向かった。トロントで3時間前にチェックインしたのに座席がないと言われた。ゲートのカウンターで確認せよと言われた。セキュリティチェック後、訳も分からず不安なままカウンターの最前列で待った。だんだん列が伸びてゆく。何しろ荷物はすでに預けてしまった。幸い座席は確保できたがドキドキだ。更に10時間半のフライトである。便に搭乗出来ないとどうなるのか想像もしたくなかった。サンティアーゴで指導者の出迎えを受け国内線のチェックインでは、ローマン・シライエフ カナダ支部長の予約がキャンセルされているとの宣告だ。何とか指導員達が走り回り、我々の座席を別の便に変更してローマン師範の座席を指導員と同じ便に確保できた。どうなっているのか。ほっとする間もなく到着したメキシコチームにトラブル発生のため指導員達はまたかけつけて行った。結局彼らも代金は支払い済みなのに、予約の便に座席が取れず、11人はその日に2便と翌朝1便に分乗してコンセプシオンに向かった。どうもブラジルでカーニバルがあるらしいが、チリのダブルブッキングは珍しい話ではないのか。帰りの便は念をいれてチェックしてもらった。
コンセプシオンでは大勢の出迎えを受けた。
その夜は軍隊の駐屯地内で歓迎ディナーに招待を受けた。一般人は立ち入り禁止区域だ。
チリでは25年に一度大津波の被害を受けているそうだ。コンセプシオンは地震後整備された近代的な街で、近隣の町ともハイウエイで結ばれ便利である。ホテルの前のハイウエイを挟んで巨大なモールは終日賑わっていた。チリは海岸に面し細長くアンデス山脈にはばまれ常に津波の恐怖にさらされているのは日本との共通点だ。今も爪痕が残る地域もある。
地元以外の参加者はオリンピック委員会の支援によるトメ市の寮に宿泊したが貸切のようなもので、お互いの親交を深めることになった。
ホテルでの深夜、異常なベルが鳴り響いている。まさかの非常ベルだ。パジャマのまま8階から階段を駆け下りた。結局エレベーターの異常だったらしい。しかし我々以外誰一人滞在客は降りてこなかった。
その方がびっくりだった。またエピソードがひとつ増えた。
行事終了後、モリナ指導員の家族に暖かいもてなしを受け感激した。
コンセプシオンを離れ、サンティアーゴでは出発までの数時間中心の市街地を散策した。とにかく20度から一気に30度以上の真夏の陽気だ。街の中心に巨大な海産物の市場があり、近くのレストランで新鮮なシーフードを堪能した。チリの料理はあまりスパイスを使わず日本の味に近い。
サンティアーゴ空港で皆に別れを告げ、セキュリティチェックも済んでからMATSUSHIMA・・・と呼び出しがかかった。何事か?結局もう一度チェックインカウンターに行き、預けたスーツケースは以前からへこんでいたとサインをすることになった。
トロントについたら、0度だった。さらに成田に着いたら4度なのに体感温度はもっと寒く感じた。
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