Home » Archive

海外訪問記(2010)

海外訪問記, 海外訪問記(2010) »

南アフリカ イースタン・ケープにて学校を訪問する

11日に、ダーバン市から高速で約数時間のイースタンケープを訪問した。シブシソ・クライブ支部長の地元である。リズムカルな民族ダンスを披露してくれて大歓迎を受けた。

海外訪問記, 海外訪問記(2010) »

ネパール訪問記

例年は9月中旬から乾季に入り、トレッキングなど観光シーズンとなる。今年は雨が多く、夜は雨が降った。郊外に向かうと、道端や道路に面した空き地はトラックやバスが止められているが、ぐちゃぐちゃのぬかるみから出られるのか心配なほどだ。
カトマンズはバイクが多い。車と人々の間をすり抜けて行く。タクシーの表示が無くても、黒ナンバーは乗合を意味するそうだ。かなり年季のワゴン車やマイクロが、ぎゅうぎゅう詰めにして人を運ぶ。ドアが無いのか、乗り降りのためにはずしたのかとにかくエネルギッシュだ。交差点でも、交通整理の警官は黒マスクだ。信号はあっても作動していないように思われた。
バザールを歩くと、混沌さの中に懐かしさを感じた。女性達はサリーを巻いている人は少ないが、民族衣装はとてもカラフルだ。びっしり繋がった店の間口は狭く品物がぶら下がっている。品物もカラフルで見ていて楽しい。どこに行っても、にこやかにナマステと挨拶される。胸の前で手を合わせ、ナマステと挨拶すると優しくなれる気がする。日本の一昔前の生活が想像されるが、人々に暗さが感じられない。本当の豊かさとは何か考えさせられる。

ネパールはヒンズー教と仏教の国である。カトマンズの外れ、高台に有名な寺院(猿寺とも呼ばれる)があり、朝早くから人々が訪れていた。ぐるりと寺の周囲を車で回ると、アームド・ポリス・フォースのすぐ脇に出た。どうりで、セミナー会場に猿が見に来ていた訳だ。
 
9月19日、ヒマラヤを見るため、カトマンズから200kmのポカラに向かって朝8時にホテルを出発した。カトマンズは標高1400mの盆地にある。街を抜け、昇ったり下ったりハイウェイをひた走る。ハイウェイといっても山の中を切り開いて走る一本の幹線道路で、生活道路でもある。ネパール版トラック野郎といった、カラフルなペイントに、テープまで張った輸送トラックやら、ぎゅうぎゅう詰めのマイクロバス、観光客用のツアーバスとなんとも賑やかだ。スピード制限が無いので、ガンガン追い抜いていく。途中宿場町ができている。街の無いところでも屋台のような店が、飲み物、果物、スナックなど道端で商いをしている。泥を塗り固めたかまどで煮炊きしている所もあった。白瓜のような巨大キューリの切り売りには驚いた。
 ハプニングである。午後2時頃突然車の流れが止まった。2km先で巨大岩石が大雨で落下し、道路が閉鎖された。じたばたしても待つことしかできない。片側は断崖で、一方は大きな川が並行して流れている。皆車を降り、現場を見に行ったり、屋台で食事をしたり、観光地並みの人混みとなった。慣れたもので、いきりたっている人もいない。

3時間待って開通した。ガンガンすっ飛ばして夕方6時にポカラに着いた。だが終点ではない。
ポカラから、ジープに乗り換えた。すでに暗くなり、車一台が通れるゴツゴツの山道を激しく揺られながら、ダンプスに向かった。ぬかるみにタイヤをとられながら1時間半、夜8時頃標高1700mのダンプスのホテルに到着した。生きた心地がしなかった。折しも停電中の中、ネパールの定食ダルパート、手作りの揚げもちはとても美味しかった。オーナーはグルングさんの、親戚で暖かいもてなしに感謝した。
朝5時半、アンナプルナサウルス(7219m)の頂上が顔をだした。刻々と変化する雲の切れ間からマチャプチャレ(6993m)が見えた。魚の尻尾という意味である。余りの神々しさに大声を出したいほどだった。ネパールの人々は神々が宿る山々とヒマラヤを崇める。

今年は、雨が多く1週間トレッキングしていても見られない人がいるそうだ。たった一晩の滞在で、マチャプチャレ、アンナプルナの山々を見た興奮と感動は忘れがたい。

山から流れだす清水は道路を横断して川へと流れていた。
 
翌朝8時、山を下りポカラのフェワ湖湖畔を散策し、帰路についた。

途中の街では、数頭の水牛が対向車として向かってきた。牛様さまである。切り立った崖から勢いよく水が流れ落ちている所では、大型トラックの運転手が水浴びをしていた。
 山間の奥深く、随分高い所でも家がポツポツと点在している。不思議だったが、やはり車で行ける道はないそうだ。人が通れる幅の山道である。200kmの道中対岸に渡るつり橋は一か所見かけた。ロープで滑車にぶらさがり渡っているのを目にした。サバイバルだ。下は激流である。
グルングさんは、橋が無く学校に通えない子供達のために、橋を建設する援助が必要であると話していた。教育はネパールの将来を支える。
グルングさんの奥さんの手料理をご馳走になった。お変わりをした。とても美味しかった。

Share

海外訪問記, 海外訪問記(2010) »

チュニジア訪問記

スペインから、イタリアのローマを経由してチュニジアに向かった。チュニジア支部長サドック・クウカ師範が同行して、空港では警察学校の所長の出迎えを受けた。

海外訪問記, 海外訪問記(2010) »

アンダルシアの白い村 カサレス 訪問

エステポナから山の中を3~40分程走り、山肌にはりつくように白い美しい街並みが現れた。ローマ時代までさかのぼる古い歴史のある街だ。観光のためではなく、人々が生活している。家々は迷路のように込み入っている。夕陽に照らされて、より一層幻想的なたたずまいに感動を覚えた。

この海の向こうは、北アフリカの大地だ。晴れた日にはアフリカ大陸まで見渡せるそうである。

Share

海外訪問記, 海外訪問記(2010) »

カナダ モントリオール散策

カナダ大会、セミナー、昇段審査も済み、5月31日はモントリオールの
旧市街地を散策した。かの世界的に有名なシルクドソレイユは、
月曜が休館で見逃してしまった。滞在中、カナダ支部の指導者達との
ディナーで、楽しい会話に話がはずみ一層交流を深めた。 前回の訪問
から4年ほど経過した間に、カナダ支部はさらに発展し、充実していた。

Share

海外訪問記, 海外訪問記(2010) »

オレゴン・ポートランド訪問

 オレゴン州ポートランド空港から約30分でバーベルトンに到着した。町の街路樹も郊外の至る所に堂々とした針葉樹がそびえ、その中に白やピンクの花の木々も咲き誇っていた。桜は散ってしまったようで、プラムか桃の花かもしれない。土地が広いので、会社もせいぜい2階建てや平屋建てのところが多く一層緑の多さが印象に残る。1年の半分は雨だそうで、滞在中晴れの日は大会当日だけだった。
 ポートランドの町を眼下に一望できる高台に作られた、1900年初頭に建築されたピトックマンションThe Pittock Mansionの豪邸を見学した。建築費は現在の金額では3憶円要したという贅がつくされていた。
 オレゴンには、世界的に有名なスポーツウエア会社ナイキの本社がある。もちろん外からのみだが見学した。会社名はどこにもなく、あのロゴのマークだけ堂々と目立っていた。

Share