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ウクライナ訪問記2013

その時、機長の“空港が見つかりません”と衝撃のアナウンスが。朝7時10分ウクライナ、ドネツク発のフライトは、8時20分にはキエフ空港に到着予定だった。確かにもう2時間半は飛び続けていた。着陸態勢に入りますと言ってからも時間が経過していて、いまだに濃い雲海の真っただ中だ。当機は濃霧の中着陸出来ずに飛び続けていたのだ。“どうぞ状況をご理解を”と言われても状況がつかめない。突如“ただいまより着陸”と機長の一声に緊迫した。視界が広がったのはまさに着陸したときで、一斉に拍手がわき上がった。しかし苦難は続いた。一向に降ろされない。隣の乗客に“ここはキエフか?”と聞いたらキエフだという。乗客も前方の乗務員に詰め寄る者もいる。こちらも直に確かめるべく前方へ。折しも機長もいたので聞いたら、“当機はこのまま待機して、その後ブリスベンに向かう”といった。こちらも冷静ではないので“ブリスベン?Which country?”と口走った。
キエフのボリスベル国際空港だったが、後になってブリスベンはオーストラリアだと思いだした。やっと再度当機は飛び立ち、キエフ空港の国内線ターミナルに着いたが、待てど暮らせどバッグが出てこない。
それから重いバッグを引きずりシャトルバスで国際線ターミナルへ移動した。何しろもう御昼過ぎで、すでに10時50分発のヘルシンキ行きのフライトは出発していた。当然ながら成田行きの乗り継ぎ便にも乗れない。ウクライナ空港のオフィス前に、更に3時間ほど並び翌日のヘルシンキ行きを確保して、空港会社の手配したホテルに宿泊することとなった。ホテルには、乗り継ぎ便を失った乗客が次々とやってきた。この日夕方まで口にしたのは、機内のドリンクだけだった。
翌朝無事へルシンキ空港にたどり着いたが、もう成田行きは満席で名古屋行きを確保して、初めてスーパー特急の新幹線に乗り名古屋から東京に戻った。なんと日本の新幹線は正確なことか。